忙しくなると、私たちは何かを削って時間をつくろうとします。仕事をあと少し進めたい。家事を終わらせたい。子どもが寝たあとに自分の時間を持ちたい。勉強したい。本を読みたい。動画も見たい。1日は24時間しかない以上、どこかで調整する必要があります。
そのとき、比較的削りやすいのが睡眠です。睡眠を1時間短くすれば、その夜に使える時間は1時間増えます。計算だけを見れば、これは合理的な選択に見えます。眠っているあいだは仕事も勉強もできず、目に見える成果も生まれないからです。
しかし、ここには一つ見落としやすい問題があります。睡眠を削って増えた1時間と、その結果として迎える翌日の時間を、同じ価値の時間として扱ってよいのでしょうか。
もし睡眠時間を削ることによって、翌日の注意や認知的なパフォーマンスに影響が生じるのであれば、睡眠は単純に「活動できない時間」とは言えなくなります。今日の夜に1時間を取り戻したとしても、その代わりに翌日の多くの時間を、十分に力を発揮しにくい状態で過ごすのであれば、時間配分として本当に得をしたのかは分かりません。
もちろん、だからといって睡眠時間をできるだけ長くすればよい、という話でもありません。人生には仕事、家事、育児、学び、人間関係、運動、余暇など、時間を配分する価値のあるものが数多くあります。重要なのは、睡眠だけを最大化することではなく、限られた24時間をどう使えば、その日の活動と翌日の状態を両立できるのかを考えることです。
睡眠を削ることは、本当に時間を増やすことなのでしょうか。
この記事では、運動、カフェイン、アルコール、入浴、そして慢性的な不眠への対処など、睡眠をめぐる研究を手がかりに、何を見直す価値があるのかを考えていきます。その出発点として、まず確認したいのが、睡眠が翌日の時間の質にどのように関わっているのかという問題です。
睡眠は、翌日の時間の質を左右する
「あと1時間だけ仕事を進めたい」「もう1話だけ動画を見たい」。そう考えて睡眠を少し削ることは、珍しいことではありません。起きている時間だけを数えれば、その選択によって自由に使える時間は確かに増えます。しかし、そこで得た1時間だけを見て、翌日の状態を計算に入れなければ、時間配分としての損得を正しく判断することはできません。
睡眠時間を意図的に短くした研究をまとめると、部分的な睡眠制限は、起きているあいだの認知的なパフォーマンスに影響を及ぼすことが示されています。ただし、その影響はすべての認知機能に同じように現れるわけではありません。認知機能の種類や課題によって結果には違いがあり、「少し睡眠が不足すれば、判断力も記憶力も注意力も一様に低下する」と単純化することはできません(Lowe et al., 2017)。
それでも重要なのは、睡眠を削って増えた時間が、翌日もまったく同じ質で使えるとは限らないという点です。睡眠時間を継続的に制限することで認知的なパフォーマンスに影響が生じるのであれば、「1時間眠らなかったから、人生で使える時間がそのまま1時間増えた」と考えるのは単純すぎます。
たとえば、夜に1時間長く仕事をすれば、その日の作業時間は増えます。しかし、その結果として翌日の集中を必要とする仕事に取り組みにくくなるなら、増えた時間だけでなく、その後の時間をどのような状態で使えるかまで考える必要があります。同じ60分でも、十分に頭が働く状態で使う60分と、強い眠気や集中しにくさを感じながら使う60分では、そこから得られるものが同じとは限りません。
これは、睡眠時間を長くすれば長くするほどよい、という意味ではありません。また、この研究から「何時間眠れば仕事の成果が最大になる」といった最適値を決めることもできません。ここで分かるのは、睡眠時間を削るという意思決定には、目の前で増える活動時間だけでは見えないコストがあり得るということです。
学びや仕事という視点から見ると、この点はさらに重要になります。知識を身につけたり、仕事で専門性を発揮したりするためには、時間だけでなく、その時間に認知的な能力をどれだけ使えるかも関係します。睡眠が人的資本そのものを「回復させる」と研究から直接言えるわけではありませんが、学びや仕事に使う能力を支えるという意味では、睡眠を人的資本の基盤の一つとして考えることはできます。
時間は、単純な長さだけで価値が決まる資源ではありません。だからこそ睡眠を考えるときには、「何時間活動できるか」だけでなく、「その時間をどのような状態で使えるか」まで含めて考える必要があります。睡眠の質を上げるという問題も、夜だけの問題ではありません。次に考えたいのは、翌日の睡眠にもつながる日中の過ごし方です。
日中の運動を、睡眠改善の選択肢にする
睡眠の質を上げようとすると、まず思い浮かぶのは夜の工夫かもしれません。寝具を変える、照明を暗くする、スマートフォンを見る時間を減らす、寝る前の過ごし方を整える。もちろん夜の環境も重要ですが、よく眠るために見直せるのは、眠る直前の行動だけではありません。
その一つが、日中の運動です。「夜によく眠るために、なぜ昼間に身体を動かすのか」と思うかもしれません。しかし、運動を行うグループと対照群を比較した22件のランダム化比較試験を統合した研究では、運動によって主観的な睡眠の質や不眠症状、日中の眠気などが改善する傾向が確認されています(Xie et al., 2021)。
たとえば、睡眠の状態を評価する代表的な質問票であるPSQIでは、運動を行ったグループのスコアが対照群より平均2.19ポイント改善していました。不眠症状を評価する指標でも改善がみられています。つまり、運動は身体を鍛えるためだけのものではなく、睡眠を整えるためにも検討できる行動の一つです。
ただし、ここで注意したいのは「運動すれば必ずよく眠れる」と単純化しないことです。この研究で比較的明確な改善が確認されたのは、本人が回答する質問票などの主観的な指標です。一方、実際の睡眠時間や睡眠効率などを機器で測定した客観的な指標については、同じように明確な改善が確認されたわけではありません(Xie et al., 2021)。「よく眠れたと感じること」と、測定された睡眠のすべての指標が改善することは、分けて考える必要があります。
また、この結果だけから「毎日何分歩けばよい」「何時にどの強度で運動すれば最も眠れる」といった万人共通の処方箋をつくることもできません。運動の種類や頻度、期間には研究ごとに違いがあり、もともとの運動習慣や睡眠状態も人によって異なるからです。
それでも、この研究から得られる実践的な示唆はあります。睡眠に不満を感じたとき、寝る直前の行動だけを細かく調整するのではなく、日中をどう過ごしているかにも目を向けるということです。特に普段ほとんど身体を動かしていない人にとっては、運動は検討する余地のある選択肢になります。
睡眠改善は、寝る直前だけではなく日中から始まっています。夜のルーティンを増やす前に、まず一日の過ごし方全体を見る。睡眠を夜だけの問題として切り離さず、日中の活動まで含めて考えることが、改善策を選ぶ一つの視点になります。
カフェインは「量」と「就寝までの時間」で考える
「夜にコーヒーを飲まなければ、睡眠には影響しない」と考えている人もいるかもしれません。夕食後のコーヒーは避けていても、昼食後や午後の休憩ではあまり気にしない。眠気を感じる時間帯だからこそ、コーヒーやお茶、エナジードリンクなどでカフェインを摂ることもあります。しかし、カフェインと睡眠の関係は、「寝る直前に飲んだかどうか」だけでは決まりません。
カフェイン摂取後の睡眠を調べた研究を統合すると、カフェインを摂った場合には、摂らなかった場合と比べて総睡眠時間が短くなり、睡眠効率が低下し、眠りにつくまでの時間が長くなり、入眠後に起きている時間も増える傾向が確認されています(Gardiner et al., 2023)。
なかでも分かりやすいのが、睡眠時間への影響です。統合された結果では、カフェインを摂取した場合、総睡眠時間は平均で約45分短くなっていました(Gardiner et al., 2023)。45分という時間は、1日だけならそれほど大きく感じないかもしれません。しかし、睡眠を改善したいと考えている人にとっては、寝具や細かな就寝ルーティンを工夫する前に、自分がいつ、どれくらいカフェインを摂っているのかを確認する理由にはなります。
では、「午後はコーヒーを飲まない」と決めればよいのでしょうか。ここはもう少し慎重に考える必要があります。この研究では、カフェインの摂取量や摂取時刻によって睡眠への影響が変わることも検討されています。たとえばコーヒーに相当する量については、総睡眠時間への影響を避けるために就寝のかなり前まで摂取時刻を離す必要があるという推定も示されています(Gardiner et al., 2023)。
ただし、この結果を「全員が午後○時以降はコーヒー禁止」というルールに置き換えるのは適切ではありません。普段何時に眠るのか、どのくらいのカフェインを摂るのかによって条件は異なりますし、カフェインへの反応にも個人差があります。午後3時という同じ時刻でも、午後9時に眠る人と午前1時に眠る人では、就寝までに残された時間が違います。
そのため、カフェインは「何時までなら飲んでよいか」という固定された時刻よりも、「どれくらい摂り、それを自分の就寝時刻からどれだけ離すか」という二つの軸で考える方が実用的です。睡眠に不満があり、午後から夕方にもカフェインを摂る習慣があるなら、まず量と時刻を確認し、より早い時間へ移したときに自分の睡眠がどう変わるかを見ることができます。
睡眠を改善するために、新しい習慣を追加する必要があるとは限りません。すでに行っていることの量やタイミングを変えるだけで、見直せる場合もあります。カフェインは、その代表的な候補の一つです。
「眠くなる」と「よく眠れる」は同じではない
「お酒を飲むと、いつもより早く眠れる」。そう感じたことがある人もいるでしょう。この感覚を、単なる思い込みとして片づける必要はありません。アルコールとその後の睡眠を調べた研究を統合すると、摂取量が多い場合には、眠りにつくまでの時間が短くなる方向の結果が確認されています(Gardiner et al., 2025)。
それなら、なかなか眠れない夜にお酒を飲むことは、合理的な方法に思えるかもしれません。しかし、ここで区別したいのが「眠くなること」と「その後の睡眠がよくなること」です。入眠までの時間だけを見れば、お酒が役立っているように見えても、睡眠は眠りについた瞬間に終わるわけではありません。
睡眠にはいくつかの段階があり、その一つがREM睡眠です。アルコール摂取後の睡眠を統合した分析では、REM睡眠の減少やREM睡眠が現れるまでの時間の延長が確認されており、こうした影響は比較的少ない摂取量からもみられました。また、摂取量が多くなるほどREM睡眠への影響が大きくなる傾向も示されています(Gardiner et al., 2025)。
つまり、アルコールには少し厄介な二面性があります。摂取量が多ければ、眠りにつくまでの時間は短くなるかもしれません。その一方で、その後の睡眠構造には別の変化が生じます。「早く眠れること」と「よい睡眠になること」は、同じではありません。
ただし、ここから「アルコールを飲めば睡眠のあらゆる側面が必ず悪化する」とまで広げるのも正確ではありません。総睡眠時間や睡眠効率、眠ったあとに目覚めている時間などについては、すべての指標で一貫した悪影響が確定しているわけではありません(Gardiner et al., 2025)。アルコールと睡眠の関係は、「良い」「悪い」の二択ではなく、睡眠のどの側面を見るかによって異なります。
この違いは、睡眠改善を考えるうえで重要です。私たちは「すぐ眠れた」という分かりやすい感覚から、その方法が睡眠全体にもよかったと判断しがちです。しかし、入眠の速さだけを睡眠の質の代わりにすることはできません。寝酒の場合、目の前の「眠りやすさ」と、その後の睡眠を分けて考える必要があります。
したがって、この結果から導くべきなのは「飲酒する人は全員禁酒すべきだ」という結論ではありません。少なくとも、眠るためにアルコールを使うことには、入眠だけを見ていては分からないトレードオフがあります。睡眠を改善することが目的なら、寝酒を睡眠改善策として利用しないというのが、研究結果から導きやすい実践的な判断です。
就寝前の入浴を、無理なく試してみる
寝る前に身体を温めると、かえって目が覚めてしまうようにも思えます。しかし、入浴やシャワーのように身体を外から温めることは、睡眠を改善するために検討できる方法の一つです。特別な器具を用意する必要がなく、すでに入浴の習慣がある人なら、生活に取り入れやすいという特徴もあります。
就寝前の入浴やシャワーと睡眠の関係について17件の研究をレビューし、そのうち13件を定量的に統合した研究では、40~42.5℃程度のお湯による入浴やシャワーが、入眠までの時間、睡眠効率、主観的な睡眠の質などの改善と関連していました。特に、就寝の1~2時間前に身体を温めた研究では、入眠までの時間が短くなることが示されています(Haghayegh et al., 2019)。
一見すると、「身体を温めると眠りやすくなる」という単純な話に見えますが、考えられている仕組みはもう少し複雑です。温かいお湯に触れることで手足などへの血流が増え、その後の身体から外への熱の放散を促すことが、就寝前に起こる体温変化を助ける可能性があります(Haghayegh et al., 2019)。つまり、眠る直前まで身体を熱い状態にしておくことが目的ではありません。
ただし、「40~42.5℃」「就寝1~2時間前」という数字を、そのまま万人共通の正解として受け取る必要はありません。今回の分析に含まれた研究数は多いとはいえず、研究ごとに入浴方法や時間などの条件にも違いがあります。最適な温度、入浴時間、タイミングが精密に確立されているわけではないため、「41℃のお湯に決まった時間だけ入れば眠れる」といった処方箋に置き換えることはできません。
むしろ実生活で注目したいのは、入浴が比較的試しやすい睡眠改善策の一つだという点です。すでに毎日入浴している人なら、新しい習慣を一つ増やすのではなく、入浴する時刻を少し見直すという方法も考えられます。一方、入浴時間を変えることが生活上大きな負担になる人まで、無理に取り入れる必要はありません。
睡眠改善では、研究で効果が示されているかどうかだけでなく、自分の生活のなかでどれくらい無理なく試せるかも重要です。入浴は万能な睡眠改善法ではありませんが、実行するために必要な時間や手間と、期待できる改善の可能性を比べながら選べる方法の一つです。
眠れないとき、「もっと眠ろう」とすることが逆効果になることもある
なかなか眠れない日が続くと、「もっと睡眠時間を確保しなければ」と考えるのは自然です。いつもより早くベッドに入り、少しでも長く横になり、眠れなくても何とか目を閉じていようとする。睡眠が足りないと感じているのですから、ベッドで過ごす時間を増やすことは合理的に思えます。
ところが、慢性的な不眠への対処では、この直感とは異なる方法が用いられます。その代表が、不眠症に対する認知行動療法(CBT-I)です。これは「寝る前にスマートフォンを見ない」「カフェインを控える」といった一般的な睡眠衛生を集めただけのものではありません。睡眠に関係する行動や考え方を複数の方法から調整していく、慢性不眠に対する治療的なアプローチです。
CBT-Iには、たとえば「刺激統制」と呼ばれる方法があります。ベッドと「眠れないまま長く過ごす場所」との結びつきを弱め、睡眠とベッドの関係を整えていく考え方です。また、「睡眠制限」と呼ばれる方法では、単純にベッドで過ごす時間を長くするのではなく、実際の睡眠に合わせて床上時間を調整していきます。さらに、睡眠をめぐる考え方を見直す認知的な介入も組み合わせられます。
こうした方法のどれが実際に治療効果へ寄与しているのかを、241試験、31,452人の慢性不眠の成人を対象として分析した研究では、刺激統制、睡眠制限、認知再構成などが有益な構成要素として示されています(Furukawa et al., 2024)。興味深いのは、慢性的に眠れない人にとって、単純に「ベッドにいる時間を増やす」ことだけが解決策になるわけではないという点です。
眠れないからといって、「もっと長く眠ろう」と努力することが、そのまま改善につながるとは限りません。睡眠を増やそうとして早くからベッドに入り、眠れない時間まで長くそこで過ごすことが、かえって不眠を維持する行動の一部になる場合があります。CBT-Iでは、こうした睡眠と行動の関係そのものを見直していきます。
ただし、この話を「眠れなければベッドから出ればよい」という単純な睡眠ハックに置き換えてはいけません。何分眠れなければベッドを離れるべきかといった固定的なルールを、この研究だけから万人に当てはめることもできません。とくに睡眠制限は、文字どおり自己流で睡眠時間を極端に削ればよいという意味ではなく、CBT-Iを構成する治療的な方法として理解する必要があります。
ここまで紹介してきた運動、カフェイン、アルコール、入浴などの見直しと、この節で扱うCBT-Iは、同じレベルの話ではありません。前者は日常生活のなかで睡眠を整えるために検討できる行動ですが、後者は慢性的な不眠に対する治療として研究されてきたものです。長期間にわたって眠れない状態が続き、日中の生活にも支障が生じている場合には、生活習慣の工夫だけを増やし続けるのではなく、医療機関など専門家への相談も選択肢になります。
睡眠改善では、「もっと努力する」ことが常に正解とは限りません。新しい習慣を次々と増やすより、まず自分の場合は何が睡眠を妨げているのかを考える必要があります。次に重要になるのは、ここまで紹介した方法を全部実践することではなく、自分にとって改善余地の大きいところを見つけることです。
睡眠改善は「全部やる」のではなく、ボトルネックから考える
ここまで、日中の運動、カフェインの量とタイミング、寝酒、就寝前の入浴、そして慢性的な不眠に対するCBT-Iについて見てきました。では、睡眠の質を上げるために、これらをすべて実践した方がよいのでしょうか。
必ずしもそうではありません。睡眠を改善しようとして、「運動しなければ」「午後はカフェインを避けなければ」「入浴時間も調整しなければ」と新しいルールを次々に増やせば、それを守るためにも時間や注意が必要になります。睡眠のために生活全体を複雑にしてしまっては、改善策そのものが新たな負担になりかねません。
そこで、ここまでの研究を実生活に取り入れるときには、「エビデンスの確かさ × 自分の改善余地 × 実行コスト」という3つの軸で考える方法があります。これは研究から導かれた睡眠治療の公式ではなく、「人生戦略論」として限られた時間や労力をどこへ配分するかを考えるための判断枠組みです。
第一に見るのは、その方法を支える研究がどの程度確かなのかです。ここまで見てきたように、運動、カフェイン、アルコール、入浴では、研究から言えることの範囲がそれぞれ異なります。効果が示されているという理由だけで、すべてを同じ重要度で扱う必要はありません。
第二に重要なのが、「自分にどれくらい改善余地があるか」です。そもそもお酒を飲まない人が、寝酒について考えても睡眠は変わりません。一方、夕方まで多くのカフェインを摂っている人なら、その量やタイミングには見直す余地があります。ほとんど身体を動かしていない人なら、日中の運動を検討する余地があるでしょう。すでにこうした点をいくつも見直しているのに睡眠に問題を感じるなら、同じ対策をさらに増やすより、別の要因を考える方が合理的かもしれません。
第三が実行コストです。効果が期待できる方法でも、毎日大きな時間や労力を必要とするなら、長く続けることは難しくなります。反対に、いつものコーヒーを少し早い時間に移す、普段の入浴時刻を調整するといった変更なら、新しい行動を一から追加するより負担が小さい場合があります。期待できる効果だけでなく、「自分の生活のなかで無理なく実行できるか」まで含めて考える必要があります。
そして、睡眠改善は一度だけ正しい行動を選べば終わるものでもありません。自分に合った変更を日常のなかで繰り返せる形にすることが重要です。行動を意志の強さだけに頼らず、続けやすい仕組みにする考え方については、「継続は力なり」は本当か――物事を続けるための5つの方法を心理学から考えるでも詳しく整理しています。
睡眠改善で探すべきなのは、万人に共通する「最強の睡眠法」ではありません。まず自分の生活を見て、何が睡眠を妨げている可能性があるのかを考える。そのうえで、研究から期待できる効果と、自分に残された改善余地、実行に必要な時間や労力を比べる。限られた時間と努力は、自分にとって改善余地の大きいボトルネックから配分するという考え方が、睡眠改善にも役立ちます。
睡眠を削って得た1時間は、本当に「得した1時間」なのか
ここまで睡眠を改善する方法を考えてきましたが、最後に記事の出発点へ戻ってみます。睡眠を1時間削れば、その夜に使える時間は確かに1時間増えます。仕事を進めることも、本を読むことも、家事を片づけることもできます。目の前の24時間だけを見れば、睡眠を削ることは「使える時間を増やす方法」に見えます。
しかし、第1節で見たように、睡眠時間を継続的に制限することは、翌日の認知的なパフォーマンスに影響する可能性があります。ここで重要なのは、睡眠を削ったことで増えた時間だけを見るのではなく、その後の時間をどのような状態で使えるのかまで考えることです。
たとえば、夜に1時間長く仕事をして、その日の作業量を増やせたとします。それだけなら1時間の利益です。しかし翌日、集中を必要とする仕事や学習に取り組みにくくなれば、前夜に得た1時間だけでは時間配分の結果を評価できません。問題になるのは、単純な「睡眠時間」と「活動時間」の比較ではなく、「今日の活動時間の量」と「明日の活動時間の質」のトレードオフです。
だからといって、睡眠時間をできるだけ長くすればよいわけでもありません。睡眠に1時間多く配分すれば、その1時間は別の活動には使えなくなります。仕事、家族との時間、育児、学び、運動、余暇にも、それぞれ時間を使う価値があります。睡眠だけを最大化することも、人生全体から見れば一つの資源へ時間を偏らせることになります。
ここで視点を少し長くすると、睡眠の位置づけも変わります。私たちは今日だけを生きているわけではありません。今日の時間の使い方は、明日の自分が使える注意や能力、さらに長期的な健康や活動の可能性とも無関係ではありません。睡眠そのものを「資本」と呼ぶ必要はありませんが、健康や能力といった長期的な資源を支える行動の一つとして考えることはできます。
同じことは、人生のより長い時間軸にも当てはまります。将来への投資というと金融資産を増やすことを考えがちですが、長い人生で選択肢を支えるものはお金だけではありません。健康、知識、仕事の能力、人間関係なども時間をかけて維持・形成されていきます。この考え方については、40代から何に投資すれば老後は幸せになるのか――晩年の幸福を支える5つの資本で、より長期的な視点から整理しています。
人生戦略として考えたいのは、「睡眠と活動のどちらが大切か」という二者択一ではありません。1日は24時間しかなく、今日の自分が使う時間も、明日の自分が使う時間も有限です。今日の活動時間を増やすために睡眠を削ることもあれば、明日の状態を考えて今日は眠るという選択もあります。どちらか一方を常に優先するのではなく、その配分を考えることが必要です。
睡眠とは、余った時間を最後に割り当てるだけの「休息」ではなく、今日の活動時間と明日の時間の質のあいだで、限られた時間をどう配分するかという意思決定の一部です。睡眠を考えることは、何時間眠るかだけを考えることではありません。現在の自分が使う時間と、未来の自分がよりよい状態で使える時間を、どう両立させるかを考えることでもあるのです。
睡眠は「余った時間」ではなく、翌日の時間の質への投資である
睡眠の質を上げる方法は、一つではありません。日中に身体を動かすこと、カフェインの量や摂る時刻を見直すこと、アルコールを眠るための手段にしないこと、就寝前の入浴を試してみること。ここまで見てきた研究からは、睡眠を整えるために生活のなかで検討できる選択肢がいくつも見えてきます。
ただし、これらをすべて実践する必要はありません。普段ほとんど運動していないのか、夕方までカフェインを摂っているのか、寝酒の習慣があるのか。自分に改善余地がある部分を見つけ、期待できる効果だけでなく、必要な時間や手間も考えながら優先順位を決める方が現実的です。また、慢性的な不眠については、生活習慣の工夫を増やし続けるだけでなく、CBT-Iのような治療的アプローチがあることも分けて考える必要があります。
そして睡眠の問題をもう一段広く捉えると、これは時間の使い方の問題でもあります。人生には、仕事、家事、育児、学び、運動、家族との時間、余暇など、限られた時間を配分したい対象が数多くあります。睡眠だけを最大化することが目的ではありません。一方で、時間が足りなくなるたびに、睡眠を最後の調整弁として削ればよいとも限りません。
睡眠を削れば、今日使える時間は増えます。しかし、その選択が翌日の認知的なパフォーマンスに影響する可能性まで考えれば、「起きている時間が長いほど、使える時間も増える」と単純には言えません。大切なのは、今日の活動時間だけでなく、明日の時間をどのような状態で使えるかまで含めて考えることです。
睡眠とは、活動した後に余った時間を割り当てるだけの「休息」ではありません。今日の限られた時間の一部を睡眠へ配分することは、翌日の注意や認知的なパフォーマンスを支え、明日の時間をよりよい状態で使うための選択でもあります。睡眠は、今日の活動時間と明日の時間の質をどう配分するかという、人生の時間戦略の一部なのです。
参考文献
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